ゆっくり陰謀論・都市伝説 第67回 民主主義が崩壊したナチス・ドイツ 「前編」
ゆっくり陰謀論・都市伝説 第67回
民主主義が崩壊したナチス・ドイツ 「前編」
はい、どうも。こんにちは。
結月ゆかりです。
はい、どうも。こんにちは。
京町セイカです。早速だけと、今回はどんなお話をするの?うむ。
今回話す内容は民主主義が崩壊したナチス・ドイツ
について解説していくよ。
そう言えば緊急事態事項の拡大解釈に
よって出来たのがナチス・ドイツだったとまで話したわね。
そうだね。
今回は自民党案のような曖昧な条文で定められている緊急事態事項の危険性を
より深く理解する為に戦前のドイツの歴史を振り返ってみましょう。
ではヒトラーはどのようにして緊急事態事項を活用して独裁体制を敷いてきたのか?
また、ヒトラーが首相になる以前から緊急事態事項が発動しましたが。
その歴史も踏まえながら、ドイツの歴史を振り返ってみましょう。
まず、ドイツの歴史を簡単に整理すると1871年に始まったドイツ帝国は
第一次世界大戦の敗北とともにドイツ革命が起きて帝政は倒され。
ヴィルヘルム2世がオランダに亡命した後にドイツは共和制へと移行し。
ワイマール共和国が誕生します。
ワイマール共和国はワイマール憲法に基づく議会制民主主義を採用し。
ワイマール憲法は当時、最も民主主義的と評価されました。
しかし、1933年のヒトラー政権発足をもってワイマール憲法は死文化し。
ワイマール共和国は事実上消滅しましたが、この時何が起こったのでしょうか?
緊急事態事項に相当するものです。
それを乱用することによりヒトラーは抵抗勢力を一掃する事が出来ました。
1933年には全権委任法を成立することによってワイマール憲法体制は
無効化してしまいます。
詳しい流れを見てみると1933年1月30日にヒトラーは首相に就任し。
翌月の2月27日の夜にはベルリン国会議事堂が放火され
オランダ人共産主義者が逮捕されてます。
翌28日には大統領緊急令を発令し、ワイマール憲法が保証する7つの基本権。
すなわち人身自由、意思の表明の自由、集会の自由、結社の自由。
通信の秘密、住居の不可侵などを停止してしまいます。
実際に緊急令を出すのは大統領ですが、首相であるヒトラーが当時大統領だった
ヒンデンブルクに出させたのです。
な、なるほどね。
これによってヒトラーは
ナチス党の私兵である突撃部隊を使って共産党の国会議員をはじめ。
急速左翼運動の指導者たちを一網打尽にしてプロセイン州だけでたった数日で
5000人以上逮捕しました。
また、ヒトラーは反ナチス的な地方政治を抑え込むことにも成功します。
ヒトラーはこのように大統領令を出すことで抵抗勢力を一掃する事に成功しましたが。
戦後のニュルンブルク裁判で実は国会議事堂の放火は自作自演だったことが
明らかにされてます。
これが本当であればヒトラーは合法的に独裁体制を樹立したのでは無く。
非合理的に独裁体制を樹立したという事になります。
そもそも、「合法的」という言葉自体がナチスの幹部の一人。
ヴィルヘルム・フリックが生み出したプロパガンダの一つであります。
実際は合法的に見せかけた非合法な政権なのです。
しかし、「合法的」というプロパガンダでどんな倫理的な問題があったとしても。
これに従うしかなかったのです。
その後、ヒトラーは1933年3月23日に憲法を除く全ての法律を公布できる権限を認める
全権委任法を制定し。
ワイマール憲法に拘束されない無制限の立法権を手に入れました。
ヒンデンブルク大統領はこれに異論なく署名し、ドイツの議会政治は事実上に崩壊。
憲法はその後も正式に廃止されることはありませんでしたが。
完全な空文化してしまったのです。
な、なんと。。
しかし、今回も衝撃的な内容でしたね。
さて、今回のお話は
ここまでにするよ。
一応、表向きには都市伝説という事にしてますが。
これを聞いて信じるか?信じないか?行動するか?しないか?
まぁ。好きにするといいさ。
次回もぼちぼち更新していくね。
ゆかりちゃん、お疲れ様です。
次回の話も楽しみにしているわね。