ゆっくり陰謀論・都市伝説 第68回 一党独裁化したナチス・ドイツ 「後編」
ゆっくり陰謀論・都市伝説 第68回
はい、どうも。こんにちは。
結月ゆかりです。
はい、どうも。こんにちは。
京町セイカです。早速だけと、今回はどんなお話をするの?うむ。
について解説していくよ。
そう言えば前回は憲法を無効化した
とまで話したたわね。
そうだね。
正確に言えばワイマール憲法自体は残っているけど、機能してい状態になっています。
更に1933年7月14日には政党新設禁止法でナチス以外一切の政党を禁じました。
そして、1934年8月にヒンデンブルク大統領が亡くなると憲法上は大統領の
後任者を選ぶ必要がありますが。政府は大統領と首相の権限を合体させた
新しい役職「総統」を作ってそれにヒトラーが就任させる法律にしました。
さて、振り返ってみるとヒトラーが首相に就任してから全権委任法までたった
50日しか経っていません。
それにナチ党以外の一切の政党を禁じてナチ党独裁ができるまで半年。
ヒトラーが総統になるまで1年半であっと言う間に独裁政権が出来上がりました。
発せられた大統領緊急令によっていつの間にかヒトラーの独裁憲法へと
すり替えられたのです。
その大統領緊急令を発動する条件は「ドイツ国内において、公共の安全及び秩序に
著しい障害が生じまたはその恐れがあるとき」でした。
これも自民党の緊急事態条項と同じように発動条件が非常に曖昧で。
解釈の余地が大きいです。
当時のドイツでは議会が停滞する事も多かったのでヒンデンブルク大統領は
ヒトラーが首相に就く前から大統領緊急令を乱用していました。
第1次世界大戦とドイツ革命の勃発により、ドイツ帝政が崩壊した後。
帝政時代から英雄であったヒンデンブルクは1925年に中道保守勢力に担がれて
国民の直接選挙で大統領に選出されました。
大統領になったヒンデンブルクは表向きにはワイマール憲法に忠義的でしたが
憲法の定める民主的な議会制民主主義に懐疑的でした。
1929年に世界恐慌が始まると、ドイツにも影響が及び30年には共産党とナチ党が
台頭し。議会が混乱し始めました。
それ以降、議会が停滞するたびに大統領緊急令を乱用するようになります。
一度は野党による大統領緊急令廃止案が国会で可決されましたが。
ヒンデンブルクはそれに反対して国会を解散しています。
ワイマール憲法では「大統領は首相、閣僚の任免権」と「国会の解散権」と
「非常時の緊急措置権」の3つの権限が認められてます。
この3つが実質的に大統領にとる独裁体制を敷けるようになっていたのです。
な、なるほどね。
前述した通り30年代から世界恐慌の煽りを受けて
共産党とナチスが台頭し議会が混乱。そのたびにヒンデンブルクが大統領緊急令を
乱用した結果、議会は空洞化。その隙間をつくようにヒトラー率いるナチスは
人気を集め1932年7月には第1党まで上り詰めました。
そしてヒトラーが首相になった直後に国会議事堂の火災を「公共の安全及び秩序に
著しい障害が生じた」と解釈し大統領緊急令を出しました。
ワイマール憲法48条において必要な場合には武力兵力を用意いて介入する事を
認められていましたし。
人身の自由や表現の自由。集会の自由、結社の権利などの
基本権を停止することを認められていたので、敵対勢力を合法的に一掃出来ました。
現代のドイツの緊急事態条項は細かな制限付き乱用する事は出来ないように
なってます。
まとめると自民党草案で出された緊急事態条項はナチス・ドイツ同様に穴だらけで
内閣府の独裁も可能になると前回話しました。
緊急事態条項が曖昧さが戦時中のドイツの歴史をみればそれがいかに危険であるか
分かります。
な、なんと。。
しかし、今回も衝撃的な内容でしたね。
さて、今回のお話は
ここまでにするよ。
一応、表向きには都市伝説という事にしてますが。
これを聞いて信じるか?信じないか?行動するか?しないか?
まぁ。好きにするといいさ。
次回もぼちぼち更新していくね。
ゆかりちゃん、お疲れ様です。
次回の話も楽しみにしているわね。