ゆっくり陰謀論・都市伝説 第55回 核兵器は存在しない。「後編」
ゆっくり陰謀論・都市伝説 第55回
核兵器は存在しない。「後編」
はい、どうも。こんにちは。
結月ゆかりです。
はい、どうも。こんにちは。
京町セイカです。早速だけと、今回はどんなお話をするの?うむ。
今回話す内容は核兵器は存在しない。「後編」
について解説していくよ。
この話題も大分前に解説したわね。
そうですね。
今回もリメイクという事で取り上げました。
前回は放射能は存在しないとまで解説しましたが。
今回は原爆について話していくよ。
原爆は核エネルギーを利用してとてつもないエネルギーを
出す兵器だと表向きには知られていますが。
実は原爆の材料はマグネシウムだったのではないか?
と言われてます。
というのも原爆が炸裂する瞬間を見たという柴田さんは
マグネシウムの光線のような光を発していたと証言しております。
だったと証言しております。
マグネシウムを燃焼させるとかなり眩しい光を放ちます。
実際、M50という米国製の焼夷弾があるのですが。
ベトナム戦争の写真を見るとオレンジ色の光を放っている事が分かります。
実は原爆投下時の時も同じ事が言えるのです。
原爆投下時の生存者の証言によると爆心地から2.2キロ離れていた人
の証言によるとオレンジ色の光を放っていたと言います。
又、爆心地から6.7キロ離れていた人の証言によると
青白い光だったと言います。
爆心地から近い人はオレンジ色の光を見たと言い。
爆心地から離れていた人は青白い光だったと言います。
意見に食い違いがありますが、これも原爆がただのマグネシウム爆弾
だったと言うことであれば納得です。
そしてM50焼夷弾の中にはエレクトロン焼夷弾というものがあり。
燃焼温度は2000度から3000度にもなるそうです。
広島の原爆の場合は炸裂時3000度から6000度に達した記述されてます。
それは長崎の原爆も同様な温度でした。
上記の事から原爆はただのマグネシウム爆弾だった説は濃厚になりました。
な、なるほどねー。
そして、原爆は空中で
炸裂したと言いますが。実はそうではないようなのです。
と言うのも長崎で落とされた原爆は高度500Mで炸裂したと
言われてますが。もしそうであるなら長崎にある稲荷山は何故無傷
なのでしょうか?
これが長崎の原爆投下時の被害範囲ですが、山地を除いた非常に
狭い範囲で被害が広がってます。
もし。本当に空中で炸裂させていたならこのような狭い範囲での
被害で済むはずがありません。
しかも、一般的には長崎型の原爆の方が爆発威力は高いはず
ですが被害は広島の方が大きいです。
このような現象が起きるのは実は原爆が地上で爆発し。
その衝撃波は山地に遮られ被害が狭くなってしまったのではないか?
と考察できるのです。
他にも原子爆弾が炸裂すると巨大なクレーターができると
言われてますが、原爆がただのマグネシウム爆弾であるなら
クレーターができるはずも無いのです。
原爆を開発に関わった人の証言によると原爆を水にドボンと落としこむ
ことで爆発すると話していたそうです。
1950年の核実験の記録によれば水中での核実験の方が威力が
高かったと記述されてます。
実はマグネシウムは燃焼中に水を加えると大爆発を起こすそうです。
上の写真は燃焼中のマグネシウムを鎮火させる為に放水銃で消そうと
したところ逆に大爆発を起こしてしまったそうです。
実際に広島の爆心地近くに川が流れてました。
同様に長崎の爆心地近くにも川が流れてました。
表向きには空中で爆発したと発表されてますが、これまでに解説したように
原爆は地上で爆発したとしか説明できないような事になってます。
では何故?GHQも日本政府も原爆は空中で炸裂したと公表したがるのでしょうか?
それは原爆投下時はまだ沖縄以外米軍が日本列島に上陸していないからです。
にもかかわらず原爆が地上で炸裂したと公表すれば矛盾が生じます。
つまり、原爆は米軍が爆発させたのではなく。
日本政府が作った原爆であり。爆発を命令したのは昭和天皇だったからです。
昭和天皇についての話は次回に回しますが。
原爆を開発していたのは米軍だけでなく旧日本軍も作っていたと言う話があります。
原爆研究は理化学研究所で行われそれが完成し広島、長崎で核実験が
おこなわれたと考えられます。
な、なんと。。
さて、今回のお話は
ここまでにするよ。
一応、表向きには都市伝説という事にしてますが。
これを聞いて信じるか?信じないか?行動するか?しないか?
まぁ。好きにするといいさ。
次回もぼちぼち更新していくね。
ゆかりちゃん、お疲れ様です。
次回の話も楽しみにしているわね。