ゆっくり陰謀論・都市伝説 第84回 高度文明ムー大陸とは!?「前編」
ゆっくり陰謀論・都市伝説 第84回
高度文明ムー大陸とは!? 「前編」
はい、どうも。こんにちは。
結月ゆかりです。
はい、どうも。こんにちは。
京町セイカです。早速だけと、今回はどんなお話をするの?うむ。
今回話す内容は高度文明ムー大陸
について解説していくよ。
とうとう、ムー大陸にメスが入るのね。
都市伝説としては定番ね。
そうだね。
ムー大陸と言えば、そんなのある訳ないとか。
架空の大陸でしょ?とか思い浮かべるかもしれませんが。
調べてみるとあながち嘘では無いといえるような情報を入手したので今回は
実はムー大陸は日本と関わりが深く日本で発見される海底遺跡のようなものは
ムー大陸の一部だったと言われてます。
そもそも、ムー大陸の存在を主張しだしたのはジェームズ・チャーチワードという
ムー大陸についての著作を書いた作家である。彼はイギリス陸軍に在籍していた時に
インドの寺院の僧にナーカルと呼ばれる絵文字で書かれた粘土板を発見。
解読したところ太平洋にムーという大陸がどうやらあった事が分かった。
そして、このムーという大陸には現代より遥かに優れた文明があり。
そこを支配していたのはムー帝国であった。
ムー帝国は各地を支配してそこを植民地化し貿易をおこなっていた。
しかし、約1万年以上前に巨大地震でムー大陸は沈んでしまったそうです。
彼は他にも日本人こそがムー帝国の末裔だと書き残してました。
ですが、それだけでは日本人とムー帝国を結びつけるには無理があります。
これを結びつけるのが日本の最西端に位置している与那国島の海底遺跡です。
こちらの写真から分かるとおりこれは明らかに人工物です。
また、伊那名島にはどう見てもピラミッドらしき人工物があります。
このピラミッドは伊那名城跡と呼ばれ琉球王朝初期に作られました。
更に奄美群島の離島の1つ徳之島には犬の門蓋という人工物?らしき使用用途不明の
門があります。興味深い事に徳之島には桃の事をムーと呼ぶそうです。
では何故、桃の事をムーと呼ぶのでしょうか?
これは個人的な推測ですが、ムーを表す記号に桃の花ような記号があります。
他にもムー大陸を表す、記号に蓮の花が確認出来ますね。
蓮の花と言えば。思い浮かべるのが蓮の花に乗った弥勒菩薩です。
つまり、弥勒信仰のルーツとはムー大陸から来ていると考えられないでしょうか?
な、なるほどね。
なかなか、面白い話ね。
ところで、ムー大陸の存在を主張し始めたのはなにも
ジェームズ・チャーチワードだけではありません。
神道系信仰宗教団体の大本教創設者である出口王仁三郎もムー大陸の存在を
主張してきました。
彼の主張によるとかつて太平洋上に黄泉島が浮かんでいた。しかし、巨大地震によって
沈んでしまった。その黄泉島がムー大陸だったというのです。
しかも、出口王仁三郎が黄泉島の存在を主張しだしたのも
ジェームズ・チャーチワードが提唱するムー大陸が発表する前のことです。
1936年に出口はムー大陸の発表が記載された新聞を発見します。
それを見るやいなや黄泉島こそがムー大陸だと主張するのです。
それだけで無く。太平洋上に浮かぶポナペ島、別名ポンペイ島のナンマトル遺跡が
ムー大陸の一部であり。ナンマトル遺跡はムー帝国の神殿があった場所だと言う。
つまり、ナンマトル遺跡があるポンペイ島こそがムー大陸の中心地であり。
地球のヘソにあたる部分だったと主張してます。彼はその勢いで大本教のポナペ支部
まで設立しています。ムー大陸が架空の大陸だったならわざわざ太平洋の僻地である
ポナペ島に支部を作るとは思えません。
竹内文書は日本最古の歴史書である古事記よりも古い歴史が書かれています。
しかし、竹内文書は政府から偽書というレッテルを貼られ歴史の闇として
もみ消されるのですが。その話の続きは後編にいたします。
な、なんと。。
しかし、今回も衝撃的な内容でしたね。
さて、今回のお話は
ここまでにするよ。
私の話は陰謀論とたまに都市伝説の話をいたします。
これを聞いて信じるか?信じないか?ではありません。
私が発信している情報だけでなく多方面からの情報を入手してその情報の真偽を
自分で精査していく時代がこれからきます。
では次回もぼちぼち更新していくね。
ゆかりちゃん、お疲れ様です。
次回の話も楽しみにしているわね。